2021.08.30 12:23PAST 過去から5年農家になり5年このホームページを作成してから5年前回の記事から5年の月日が流れていました。あの時、ここに残した自分たちの想いはどう変化したか。ひとつ言えることは、このホームページにわたしたちの軌跡を残してよかった。そのくらい、ダイナミックにわたしたちの農業は変化してきた。以前に増して、情熱や家族の愛情、やさしさやネットワークは、わたしたちにとって欠かせないものになっている。あれから5年わたしたちの...
2018.03.05 09:08SEVEN FOREST PROJECT since 2016 SEVEN FOREST PROJECT since 20162016年 わたしたちの小さな思いつきではじまった"農作業仲間の募集"無も有もなく、ただ、すこしでもたくさんの人に農業にふれ、自然にふれる機会を作りたかっただけだったけれど小さな集まりは、回を重ねるうちに 色濃く、あたたかい集まりになっていきました
2018.02.19 03:38performance 技時を戻して 春徳田の家の横には、古く牛舎として使われていた小屋があり春ふと思い立ち、小屋の整理をはじめました小屋の一階には、たくさんのモノがつみかさねられておりましたとても綺麗だとはいえない状況でしたが二階に上がるとそこは"時が止まったような空間"がひろがっていました
2018.02.10 06:21FOREST SCHOOL おとなと子どもの森のがっこう自然というフィールドを前にしてわたし達の生活が大きく変化してもそれまでの暮らしが嘘のようにすーと、新しい暮らしに入りこんでいくことができました "共通の素性"自然に囲まれ、育ち、自然を遊び相手に成長してきた徳田とわたしの共通の素性自然との関わり方が、親密であった子ども時代に戻ってきたような感覚いわて というフィールドで生まれたということこそ、本当の"はじまり"だったのではない...
2017.12.14 12:21 UNIVERSAL 世界"あるがままに生きる"農家になり最もありがたいと感じたのはなにものにも束縛されない、自分らしい"働き方"そのものでした自分を見つめなおし、自分と向きあう仕事をとおして、自分がどういう人間なのか?を学びなおしていった気がします前述に記載した"家族"の想いだったり、"ひと"の力だったり、自然とのバランスを思い出させてくれたのは"自分をまっすぐみつめる時間"があったから。["自分"という存在から学ぶ]し...
2017.12.12 22:25HUMAN ひと仕事は、為事とも書き"事をする"の意、意外にも、"仕"は、"仕える"ではなく、"する"の当て字なのだそうです"事を為すために必要なモノ"とはなにか?この一年、農業とは、すごい仕事だなあと感じる瞬間がたくさんありました現代の仕事はハイテクノロジーにより機械化がすすみ、どんどん短縮され、労働は機械が代わって行う時代にはいっています農業も同様継承者が減り、新規就農者が増える中IT技術の導入もすすんでいま...
2017.12.11 14:34Balancing バランス農業と一口にいっても、多種多様なにをつくるか?どこでつくるか?どうやってつくるか?いつつくるか?"第一次産業"であるだけにすべて一から決めていかなくてはなりませんそう意味で農業は創作活動の一種徳田の場合、家族が農家だったといっても、つづけていたのは、一部の稲作のみで畑作業は数十年前にすでにやめており、畑や田んぼは休耕畑、休耕田となっていました"数十年つかわれていない土地"徳田が生業としてきめた"牛...
2017.11.20 08:02ON BASE 基会社を辞める前のこと、”農”にふれたはじまりは突然でした。誰もが生まれ育った”家”を持ち年を重ね成長し、家を離れ旅立っていきます。わたしたちもそうでした。2013年9月ひとりで稼業である農業をつづけておった徳田の父が他界しました。”徳田の環境は激変しました”徳田は、喪主として葬儀の準備の他、わからないことだらけの様々な手続きに追われました。田んぼは黄金の季節 稲刈りの季節を迎えていました...
2017.11.19 05:02The world's best burdock seed farmer 世界一の牛蒡種子農家”世界一をめざす意味”一般的に農家というと”青果”のイメージが強い、私もそうでした。 ”牛蒡種子をつくる農家”前会社で徳田は、障がいのある方々の作業指導を担当をさせていただいておりました。作業では、トマトの誘引や三つ葉、米など様々な作業があり、もっとも大きな作業は”牛蒡種子”の収穫作業でした。そこで、牛蒡種子をつくる農業を知りました。そして、柳川採取研究会さんとの出会いがありました。”世...
2017.11.19 01:23WORKS 仕事を創る2016年秋 わたしたちは”農業”を生業とする農家になりました。準備もなく会社を辞めざるをえず、職を失った秋、荒れた土地を前に、作る作物さえ決まっていませんでした。しかし、わたしたちには家族がのこしてくれた休耕畑と田んぼ、そして、古い農機があり、見守り応援してくださる方々との熱いご縁があったのです。手さぐりで、自然のなかにとびこんだとき、農業を通じて、学んだこと”自分の手で仕事を創る” ということ...