FROM KENJI 山男
わたしたちの家は、七ツ森のひとつである
生森山の入り口に位置しています
この地域は、かつて御所湖にしずんだ
地域に住んでいた人たちが移り住んだ場所
水が豊かで、温泉がわくとも言われていた
場所で''東町"と名がついています
わたしたちが住む家は、その少し外れに
あり、林と生森山、畑に囲まれた区域
娘は、敷地の森と林の間の道をあるいて
学校へ向かいます
小屋の脇には生森山から山水が湧き出でいて
天候により山水の量は変動しますが
家の入り口の池へ流れており
池には、野生化した鯉が
自生しています
春には、その山水を利用して野菜の苗作りを
行ったり、夏には野菜を洗ったりすることも
あります
だから、わたしたちの生活は
生森山があってのもの
ただ、ここには、いわゆる田舎暮らしとはちがう良さがある
盛岡に近いということもひとつの理由
しかし、それ以外でも
生森山は、春、夏、秋、冬 を通じて
想像以上にダイナミックで
いつも新しい刺激にあふれているのです
今と昔が"共存できる場所"
生森山頂上からは
雫石の町と、盛岡、そして、かつての町が
あった御所湖
そのすべてをみることができます
頂上までは、僅か30分
決して、高い山ではない
あの宮沢賢治が作品にかきとめた
七ツ森は、地球のまるさや柔らかさを
手にとるように感じることができる
"里山"時代
賢治が小岩井や七ツ森を作品に
描いたのは、ちょうど今から100年ほど
まえ大正4年のこと
不思議なことに七ツ森は、
今とおなじ、赤ハゲ山として大伐採後のこと
でした
つまり、宮沢賢治が作品にのこした
当初の七ツ森は
今と近しい景色であったのでしょう
そして
我が家の入り口に位置する
赤松の"一里塚"を賢治は知っていたのです
我が家の屋号は、紅禿(あかはげ)
なるほど
家の向かいの山は、土が赤く見えるのです
大伐採された七ツ森は、今、まさに紅い禿げ山になり、賢治さんがあだ名をつけたと呼ばれる、まんじゅう山の様相を呈しています
賢治が描いた七ツ森の生森山では
"山男"が休憩をとるシーンがでてきます
紅禿の七ツ森
湧き水のあふれる一里塚と
休憩をとる山男
どこに向かうために休んだのでしょう
じつは、盛岡の材木町へ酒を買いに行く
途中だったのです
山男は、七ツ森で木こりに化けて
山を下ります
田舎と都会の境とたとえられた七ツ森
田舎に住む 山男は、都会にいくために
身を化かし、町へむかったというストーリー
に、わたしたちは、自分たちを重ねはじめました
春になり、材木町では、毎週末
"よ市"がひらかれます
お酒の神さまをまつった材木町のよ市では
日本酒をはじめ、どぶろくやビールを手に
人がにぎわっています
わたしたち家族は、毎週末、よ市に向かい、たくさんの一期一会の中、楽しくお酒をくみかわし、語り合う
徳田は、まさに山男のよう
材木町のよ市と山男になぞられた
一里塚と徳田慎太郎
山男から徳田慎太郎へ
不思議が縁を感じずにはいられない
山男の ストーリーを知ったとき
わたしは、賢治から手紙をいただいたよう
な気がしたのです
賢治からいただいた山男の手紙
大伐採による紅禿からはじまる、次なるストーリーへ
この場所で新しい物語を創造しよう
いつかこの七ツ森が
緑豊かな森に戻る日のために
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