UNIVERSAL 世界
"あるがままに生きる"
農家になり最もありがたいと感じたのは
なにものにも束縛されない、自分らしい
"働き方"そのものでした
自分を見つめなおし、自分と向きあう仕事をとおして、自分がどういう人間なのか?を
学びなおしていった気がします
前述に記載した"家族"の想いだったり、
"ひと"の力だったり、自然とのバランス
を思い出させてくれたのは
"自分をまっすぐみつめる時間"があった
から。
["自分"という存在から学ぶ]
しかし、とはいっても
社会組織の中で生きてきて
安心だったこと
便利だったこと
保証されていたことが、まったく無くなった
ときの精神的な不安は、言葉では表せません
方向が見えてくるまで
自分らしくありたいと思っても
あるがままにいたいと願っても
現実を目前にすると不安がつきまといます
考えてみると、徳田とわたしは、それまで生まれも育ちも、 働き方もまったくことなる存在でした。
共通の体験は、福祉にかかわり"生活支援"という仕事についたこと
[生活支援という職務]
家がある
家族がある
電気もガスも水もある
わずかな楽しみもある
それで十分
みな人が"生活"していくために必要な最低条件を満たし、支援を受けてさえいれば生きていけるというのです
しかし、本音は、みんな夢や希望がある
ように感じていました。仕事がしたい、遊びたい、美味しいものがたべたい、、、
経済的な支援
肉体的な支援
精神的な支援
仕事として個々に必要な支援を考えていく
うちに、本当に"なりたいもの""ほしいもの"
あたりまえの権利を主張しても
手に入らない社会的(組織的)構図が見えてきたのです
その後、わたしたちは、同時期に仕事をやめ、ふたりでなにもかも手放した"0地点"へ
そこで体験したのは、生活支援という職務にいた自分たちでさえも
経験的(お金)精神的(こころ)肉体的な保障
は、あたりまえの保障ではないのだ
という現実でした
そこで、'泥臭く、でも、潔よい彼らの姿"を思い出しました
生活支援の仕事をする以前も本当は知っていたかもしれないこと
仕事を手放したら今の暮らしはできないし、社会の中で、仕事無しには、わたしたちは、なにものでもないということ
自分たちがたった0地点は
決してハッピーな景色ではなかったけれど
それまで、生活支援をさせていただいてきた
方々の顔が思いだされる日々でした
"universal(世界万有)な視点"
"平等"であることには、たくさんのサポートが
必要です。人それぞれ、あなたもわたしも同じという訳にはいかないのが社会です
ただ、不平等でもかまわないけれど
誰もが同じ立場にたてる権利はある
と私は思うのです
わたしたちは、あなたとわたしが
同じ権利があるということを、自分たちの
立ち位置によって知ることができました
[バリアフリー(障壁を排除する)と同時に
universal (世界)な社会(活動)をめざしたい]
誰しもが、まずは参加できる場を。。
複雑な手続きや段取りをもたず
まずは、体験できる場を!
民間だからこそ社会の補完となるような
自由な発想の支援をしていこう!
障がいがある方、ない方問わず
学校に行かない子や働いた経験がない方
の就労の支援
はじまりは"0地点"の学び
わたしたちも、みんなも、あなたも
才能や個性は違うし、平等ではないけれど
それでも、立っている場所は同じに
違いないのですから^_^
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